寛容性2

私は寛容がスキです。
でも、気がつくと廻りに寛容性がなくなっていて面白くないということです。

では誰がそうしているか、もちろんくだらない規制や法もありますが、互いに監視しあう市民です。
SNSなどネットワークによりで自由でオープンなコミュケーションが可能になった人は小さなことを見つけては正義や常識を盾に糾弾できる権利も手に入れたと思っちゃう人が続出。
それでは生活の中で同調圧力による検閲が強化されただけです。
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そしてお互い様だと萎縮しながら目立たないそこそこの方向でやるという戦略になるわけです。

たとえば、ネトウヨが集まろうと考える。
それを止めろと正義のデモがおきる。
ヘイトスピーチをしたい人は減る訳ではなく、どちらも普段溜まったウップンは吹き上がる機会を失ったり得たりする。
そんな中で警察など行政は期待に応えようと権力を強化。
政治的集会は原発や安保法案など反対の意思表明となる価値あることですが、それに行政が首をつっこむことにもなる。
結局いいことはどこにもない。どれも寛容ではないからです。

慣らされていますから、練習が必要です。
かんたんところでベッキーあたりからはじめるといいかもしれません。
舛添氏はダメだけど。
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